Hot Business in Asia ~沸騰するアジアビジネスの現場から~

カンボジア編:「アセアン伸び盛りの小国」-カンボジアビジネスの光と影-

(株)ユアロップ 代表取締役

山田 太郎

Hot Business in Asiaの6回シリーズの最終回は、カンボジアのお話です。

昨日まで訪問していたカンボジアのビジネスのたった今刈り取った情報をお届けします。

ポルポト時代の虐殺と働き手の問題

カンボジアというとどうしても「ポルポト派」による虐殺のイメージが付きまとう。

1975年から1979年までのポルポト政権下で多くの人々が虐殺された。

 

現代のカンボジアのビジネスにも大きな影を落としている。

それは、40代から50代の働き手が少く、30代の若手が非常に多いということだ。

 

「あるべき能力がない」という問題も指摘されている。
インテリ層が虐殺で一掃されてしまったため、様々な職種でプロが少ないというのだ。

トゥール・スレン刑務所では、2万人以上の人が収容され生還できたのはたった7名。

教師、インテリ、政治家、経営者、技術者、果ては眼鏡をかけた人という人を様々な嫌疑で逮捕、虐殺された

また、アセアンの各国に比べて識字率が80%と低い

特に45歳以上の識字率はクメール・ルージュ時代に教育が禁止された影響から

21%とかなり低い水準にあるのだ。

カンボジア人の性格

そんな暗い過去を持つカンボジアも今は、活気で満ちている。

特に、笑顔が素敵だ。

カンボジア人は誰にでも笑顔で接する。

 

しかし、そんな笑顔の裏腹に、非常に強い我慢強さも持っている。

どちらかというと本音は言わない。

人前で余り自分の意見を言うのは得意ではないのだ。

 

しかし、独立心が旺盛でたくさんの会社が生まれている。

小さな商店が多いのもカンボジアの特徴だ。

 

一方、経験な仏教国でもあり先生や目上の人を非常に尊敬する傾向が強い。

笑顔のクメール人、バイクは地元の便利な足

中国の強いビジネスの影響

プノンペンの街を歩いていると多くの中国語の看板を目にする。

中国系のデパート、食堂、金の交換販売所もみな中国語。

看板がみなクメール語(カンボジア語)と中国語で併記されていると言ってもいい。

 

これらは、中国系カンボジア人の経営する店なのだ。

これらの人を「クメール・チャイニーズ」と呼ぶ。

クメール語と中国語が併記されている看板。

このような店がプノンペンには多い

クメール・チャイニーズは、「クシ1本」から商売を始めたという人が多い。

これらの店では、値札が中国元で表示もされ元で支払いができるのだ。

 

今プノンペンでは、語学学校で一番人気は英語だが、

「中国語は金になる」ので中国語の人気も高いという。

活気づく日本のカンボジア進出

日本企業のカンボジアへの進出は活況だ。

2011年は200社以上がカンボジアに進出した。

 

中国の人材不足を背景に

2010年の春節以降、特に中国からカンボジアへ移転が急増したという。

カンボジアは、アセアンの他国に比べて進出規制が緩やかで優遇措置も多いのが特徴だ。

 

プノンペン工業団地へは、

ミネベア社、住友電装社、味の素社などが進出、操業を開始した。

現在開発されたエリアは満杯状態だそうだ。

プノンペン工業団地の模型。

多くの日本企業が進出してきている

しかし、活況なカンボジア進出の裏に問題点も多い。

まず、電気代が高いことが挙げられる。

人材の確保も難しくカンボジア全土の村までいって人材集めをしている状況だ。

 

更に裾野産業はまだ広がっていないために、現地調達をするには困難な産業が多い。

簡単な鋳造、射出成型、金属加工などはあるが

日本企業の品質に合格するような企業は少ない。

 

ほぼ、進出した企業は、CMP(カット・メイク・プロダクション)モデルのメーカで

人件費のかかる加工・組立工程のみを行っているという状況だ。

もちろん、今後の日本からの金属加工企業の進出も予定されているので期待はできる。

 

カンボジアビジネスに潜む光と影。

 

しかし、日本企業もしたたかにアセアン進出の一つの目玉として

カンボジア進出を進めてるのだ。

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